人物画
ここでは、鎌倉文士や芸術家、文化人らとの交流に焦点をあて、那須先生のお人柄を紐解いていきます。
1992年に湯前町教育委員会が発行した『追悼 那須良輔』には、那須先生と親交が深かった人々による哀惜の言葉がつづられています。
その中の一部を紹介します。
「当時、毎日新聞社学芸部では、年一回「全舷」と称して部内の親睦旅行をしていた。 その際、那須さんや横山隆一さん、大山康晴さんといった方をお誘いしてプレーをした。伊豆・湯が島や箱根を回った」
【青木利夫/毎日新聞社】 (湯前町教育委員会・編『追悼 那須良輔』,湯前町教育委員会,1992,p49) |
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「来客の中には、大仏次郎氏、里見弴氏、横山隆一氏等のお顔も見え、いわゆる、当時の鎌倉文士を中心とした交友の広さを伺うこともできた」
【山手正彦/東芝】 (同,p147) |
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自然と歴史に囲まれた町であり、文化人や芸術家、業界人たちの交流も盛んな鎌倉という地に身を置くことで、那須先生は同時代の文化や社会情勢に深い関心を持ち続けました。
また、そのほがらかで面倒見の良い性格は、多くの人々に愛されました。
ギャラリー
「人物画」ゾーンに現在展示されている作品は、以下の通りです。
「中曽根康弘」 制作年不詳
「清水崑」 制作年不詳
「横山隆一」 制作年不詳
「大仏次郎」 制作年不詳
「小林秀雄」 制作年不詳
「里見弴」
「高見順」 1955年
「大山康晴」 1955年
「自画像」 1964年10月
政治家似顔絵の延長線上にある「中曽根康弘」のような作品もあれば、漫画家という“同業者”を描いた「清水崑」、「横山隆一」。
文学者でいえば「大仏次郎」「小林秀雄」「里見弴」「高見順」。
名うての棋士として知られた「大山康晴」はゴルフ仲間でした。
那須先生の交友の広さに加え、各人の表情、身体、仕草の巧みな戯画化から、確かな人間洞察力がうかがえる作品群です。
※里見弴氏のスケッチについて 「那須さんの描かれた父のスケッチは数え切れない。……(中略)……何枚も何枚も父の顔を描くことで、何かを発見したいという意欲さえ感じられた。 那須さんは父の顔をよく鯛の頭にして描かれた。それは父の表情を誠によく捉えていて実に微笑ましい」
【山内静夫/里見弴 四男】 (『追悼 那須良輔』,湯前町教育委員会,1992,p67) |
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「自画像」は1964年10月に描かれたものです。この年の那須先生の動きを見てみましょう。
昭和三十九年(一九六四)五十一歳
六月、『釣道楽』を文芸春秋から刊行。 七月、日ソ文化交流の一端として、檀一雄らと釣り視察団を組み訪ソ。 この年、那須高原の那珂の庄(黒磯市)に山小屋を立てる。 後、里見弴、海音寺潮五郎、大山康晴の各氏も山荘を建て、良輔は開拓者で名前も那須だからと里見弴から村長に推される。 ※十月、第十八回オリンピック東京大会開催。 十二月、日本漫画家協会結成。
「那須良輔年譜」(湯前町教育委員会・編『追悼 那須良輔』,1992,p170-180) |
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50歳を超え、画業に加えて文筆業や文化人としての活動も充実しはじめた時期だったことがわかります。