似顔絵
那須良輔先生は、人の”顔”を描くことに並々ならぬ情熱を注いだ漫画家でした。
自叙伝『漫画家生活50年』には、那須先生の似顔絵にかける思いが「顔と人生」と題してつづられています。
「私は商売柄すでに数千枚の人間の顔を描いているが、人間に限らず動物でも魚類、鳥類、昆虫など顔というものはそれぞれに個性があって面白いものである。
私がいつもいうことは、漫画家に惚れられる様な顔はきっといい顔と思って間違いない。 人間の顔というものは、鼻筋が通って高いとか低いとか、目が大きいとか小さいとかで評価がきまるものではない。 顔は年齢と精神の成長によって変化していくものである。 どんなに表面の目鼻立ちが立派に整っていても、内面的な教養や知性のない人はそれなりのつまらない表情が現れている。 又、逆にふと見た目には大して造作が整っていないようでも、内面的に充実した厚みのある人の顔は、見ているうちにだんだん風格や威厳が感じられて、目鼻立ちのよしあしなど消え去るから不思議である。 これが一寸(ちょっと)した言葉を交すと余計その感を深くする。
……(中略)……私は戦後、芦田内閣時代から現在まで政治家の主な人の顔はすべて描いてきたが、歴代内閣の首相の中でいまでも立派な顔だった、と印象にのこっているのは吉田さんである。 しかし、総理大臣のこの人の顔よりも、無名の職人や農民の顔で実にいい顔だった人々を何人か覚えている。 職人や農民の中には、この道ひと筋に、永年に亘って厳しく鍛錬されたしわと人生を達観した自信がにじみ出ているのを感じた。 吉田さんは政治家の中では印象に残った顔だということである。だから他はおして知るべしと思う。 吉田さんは私みたいな政治漫画家と会う時には本業の政治の話はしなかった。漫画の話をした人だ。 この人はイギリスの政治漫画家ダビッド・ローの漫画のファンで彼の作品をよく見ていたらしい。 ……(中略)……つまりユーモアを解する政治家であった。 その後の首相でもう一人、鳩山さんも漫画の話の出来る人だったが、他は全く専門以外、いや専門のはずの「政治」についてさえあやふやな人が多かった様な気がする。
……(中略)……ロッキード事件のからみはじめたころからの政治家の顔をみても、みんな食いたりない。 食欲の起きる様な顔がほとんど居なくなったのは一体どういうことであろうか」(p204)
那須良輔(1985)『漫画家生活50年』,平凡社. |
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「人間の内面的な人間性」が顔に表れると信じ、それを似顔絵という形で写し取る那須先生の手法は、技術もさることながら那須先生自身が人間を観察する力に長けていたからこそ確立できたといえるでしょう。
また、連れ立って毎週ゴルフに行ったり、酒を酌み交わしたりする仲だった文学者・小林秀雄との間にも、那須先生が「顔」に表れる人間性を重視していたことがうかがえるエピソードが残っています。
「「あの男の顔はいい」「暗い顔ばかり何時もしてゐるのは、どこかをかしいのではないか」「あの顔は信用できる」「まだ顔らしい顔になってゐない」とか判断されるのだった。 一と口に似顔繪とはいふが、那須先生には、このやうな基準がいはば底に沈められてゐるのであって、小林先生の「顔の美學」論と手をたづさへて雁行するところがあった。 ここから出發する人物論は天衣無縫といってよかった。 ……(中略)……二人の共鳴し合ふ大きな要因のもう一つに、「顔の美學」の徹底的な信奉者であることがあった」
【郡司勝義/文藝春秋社】 (『追悼 那須良輔』,湯前町教育委員会,1992,p162-163) |
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”顔で人を判断する”というと現代では語弊がありますが、那須先生の場合、顔に表れるその人の性質を強調して描くという意味で、似顔絵という表現形式を選ばれたのだといえるでしょう。
こうした手法は、政治漫画、諷刺画を描く際にも活かされていたと考えられます。
ギャラリー
※多数展示のため抜粋