国際社会・文明
戦後の政界を牽引してきた吉田茂氏が引退すると、政治漫画家・那須良輔は今までの「※一平流 」の漫画に限界を覚えるようになります。それは、那須先生の描きたいと思える政治家が政界にいなくなったことを意味すると同時に、日本の政治漫画というジャンル自体の衰退とも密接に関わっていました。
「政界内部の色々な取り引き、かけ引き、ハッタリ、が他の世界からみると、ラッパづきの蓄音機と、カラーテレビほどのズレがある。そのズレを、どう新しく処理して国民の皆様に見せるかという、政界漫画の表現の苦悩が現れはじめた、と私は思っている。二十一世紀的なマスコミの世界に十九世紀的な政界の諷刺を上手にのせるつらさである」(p117) 「政治漫画をめざす新人というものがほとんどなくなったと思える。一応、四コマでも諷刺でも、何でもねらっていこうという、間口だけ広めた行き方が多くなった。政界漫画(※ママ)をめざす新人がいなくなった、ということが、政界というものに漫画家すら興味を失った、ともいえる」(p120)
那須良輔(1985)『漫画家生活50年』,平凡社. |
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日本の政界の旧態依然とした体質に引きずられるようにして、政治漫画というジャンルも衰退していくことを、那須先生は肌で感じていたのです。
その一方で、那須先生は政治や社会問題を諷刺することそのものへの使命感を持ち続けていました。
「しかし政治家に、日本の大切な政治をまかせている限り、いやでも、ガマンして政界の様子をグタイテキに国民大衆に知らせ、諷刺しなければならない。新聞の社説で、まともな論説を書いても、今や漫画をみる人の数の何パーセントしか読まないとすれば、やはり私は政治漫画を描きつゞけようと思う」(同,p120) |
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※【一平流】 戦前より活躍した政治漫画家・岡本一平(1886‐1948)のこと。ここでの「一平流」とは、政治を動かしている個人に注目し、当事者への徹底的な取材によって内面的な人間性を探り、顔や姿かたちにその特徴を持たせて描く、という手法を指します。「一平流の、政界人を常にたずね、政治家の裏面までさぐる、という勉強の仕方」(前掲,p116)「私が一平流派というのは、つまり政界解説漫画である」(同)と、那須先生は自らの政治漫画が岡本一平以来の表現手法に基づいていることにたびたび言及しています。政治の複雑な問題を「人間模様」として解釈し、読者にわかりやすく伝えられる手法といえますが、政治家たちの人間性に漫画家自身が関心を持たなくなれば、この手法で政治漫画を描くことは難しくなります。 |
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ギャラリー
「国際社会・文明」ゾーンでは、日本という一国の政治を諷刺することにとどまらなかった那須先生の表現者としての信念と、それを支えた奔放な想像力を感じさせる作品を展示しています。
「ピョートル湾のみえる丘(フルシチョフは踊る)」は、1957年7月、ソ連が国際社会に対して一方的にピョートル大帝湾を「内海」として宣言し、本来公海も含んでいるはずの同湾内をすべて占有したことを題材にした作品です。
日米両国が中国へ急速に歩み寄りの姿勢を見せた1972年の国際情勢を表す「麻雀」は、四か国が一堂に会して中国の遊戯に興じているという構図が巧みです。
80年代に描かれた「ロン・ヤス」では、日本の中曽根康弘総理大臣とアメリカのロナルド・レーガン大統領の国家ぐるみの友情がシニカルに表現されています。
「うじむしどもはくたばれ(二つの踊る宗教)」「戦争(韓国風景)」は、地獄のような戦場を生き延びた那須先生が、ようやく訪れた平和な世界を打ち崩そうとする核開発競争や、超大国の代理戦争に強い怒りを覚えていたことを物語る諷刺画です。
宇宙進出と、その先の軍事的優位の確立をもくろむ米ソの争いを描いた「赤い人工衛星打上げ」「かんかん がくがく」もこの流れに連なります。
「ゴルバチョフ新書記長に」は「かんかん がくがく」のおよそ30年越しの“続編”とも取れる作品です。
こうした作品の並ぶ中で、「民主主義万歳」、「へそのない人間」は特定政治家の戯画化という従来の手法を破り、イデオロギーや文明の陥穽を自由に描いた異色作だといえます。
「赤い人工衛星打上げ」 1957年10月頃
「かんかん がくがく」 1958年9月
「ゴルバチョフ新書記長に」 1985年
「民主主義万歳」 1949年
「へそのない人間」 1958年9月