【8/1~10/10】那須良輔「戦争と平和」展 開催!
常設展示室では、日本を代表する政治風刺マンガ家として活躍した故・那須良輔の作品を鑑賞することができます。
令和4年8月1日(月曜日)より、”那須良輔「戦争と平和」展”を開催中です。
展示されているのは、当館が所蔵する那須作品約7000点、及び那須先生に関連する様々な資料の一部です。
那須良輔「戦争と平和」展 開催にあたって
那須良輔というマンガ家の生涯を読み解くキーワードとして、「戦争」と「平和」が挙げられます。
日中戦争及び第二次世界大戦において三度の召集を経験した那須は、終戦後、政治風刺漫画家として身を立ててからも、反戦や世界平和を訴える作品を数多く残しました。
こうした性質を持つ作品は、本業の風刺マンガはもちろん、絵画や随筆など多岐にわたります。
一方で、那須自身が戦場においてどのような経験をしたか、またマンガ家という“絵が描けるジャーナリスト”として、国家の戦時体制といかに関わっていたかについては、今日あまり知られていません。
本展では、政治事件や国際問題などの表現方法が注目されがちな那須良輔の人生そのものに焦点を当て、那須が最初の招集を受けた昭和12(1937)年から、終戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争へと続く時代の流れを、資料を基に追いかけます。
展示している資料は、那須先生の手による戦争画や風刺マンガをはじめ、戦地から家族へ宛てた手紙、マンガ家仲間から贈られた武運長久を祈る日章旗など、非日常の中の日常を生々しく伝えるものばかりです。
画家になる夢を持って上京し、子ども向けマンガの世界で成功を収めつつあった前途洋々の青年が、戦争という巨大な歴史の渦に呑み込まれていく過程、それから自身の表現すべき世界を発見していくまでの道のりを、現代の社会情勢とも照らし合わせながら追体験していただければ幸いです。
第Ⅰ章 出征・家族への愛
戦時下の日本において、マンガ家は敵軍兵士の戦意喪失を図るビラ(伝単)づくりに従事した。
かけだしのこども向けマンガ家だった那須良輔も例外ではなかった。
その一方で、健康な成人男性には最前線で兵士として戦う役割も求められていた。
昭和12(1937)年、初めて戦地招集を受けた那須は24歳。
それから終戦までの8年間を追う。
第Ⅱ章 敗戦国の情景
昭和20(1945)年8月15日、昭和天皇は国民に向けてポツダム宣言受諾を発表し、第二次世界大戦は終結した。
勝利した連合国軍は、「敗戦国」日本へ進駐。
焼け跡の街には闇市が立ち、公営の慰安所が作られた。
疎開先の湯前から東京へ戻ってきた那須が見た、敗戦直後の日本の情景を振り返る。
第Ⅲ章 平和への祈り
焼け跡からの復興、「もはや戦後ではない」ムードに包まれて好景気に沸く日本。
しかし、東西の超大国による代理戦争が勃発し、沖縄米軍基地はその重要拠点となった。
ベトナム戦争では枯葉剤が使用され、民間人に深刻な健康被害を与えた。
終ることのない戦禍と罪なき人々の犠牲に、那須は何を思っただろうか。